娘の肝臓が欲しい
月刊むすぶの463号が移植医療の特集だった。
夫に肝臓を提供し、夫は元気になったが、10年しかもたないと言われ、次は娘の肝臓が欲しいと言ったことが最大の原因となって別居。現在離婚調停中という壮絶な実話を読んだ。
病気とかボケとか障害とかいうものの実体は、実際大変な現場である。
それを美談ばかりで固めることはできない。
行く病院は本当に選ばないといけないなと思う。
彼女の夫が入院したのが移植医療を「ノリノリ」で進めるところで、移植しなかったらどうせ死ぬのだからたいした治療もできないと言うような病院だったことが一番最初の不幸だと思う。
妻にドナーになることを脅迫のように迫ったのは病院で、それに親族も同調していくようになったという。
その何ともいえない人間のドロドロした気持ちにさらされてどんなにか辛いことだっただろう。
そういう実態はあまりにもエグすぎて報道されることがない。
親子が仲良いとは限らないし、病気になった人がいい人で善人でない場合もある。
病院がもうけ主義で、手柄ばかりを考えているかもしれないし、薬業界はお金儲けしか考えてないかもしれない。 そういうことはあまり報道されない。
移植の問題については、私はテレビでざこばさんが言っていたことが一番腑に落ちる。
「人のもんもろてまで生きとないわ。そなんことしたら人間は死ねなくなる」
私もそう思う。 生き死になんて運命なんで、その運命を高度医療がいたずらに狂わせて、翻弄してしまう。
移植医療を追求していくことはこれ以上はナンセンスで、人工臓器を考えるべきである。
知的障害者や肢体不自由者の内臓を提供させるとか、そういうことを言いだす人が出てくるかもしれない。
ホンマにキショク悪い。
私は難病になったら、モルヒネ打って死なせて欲しいです。
薬をいっぱいやって死にます。
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