2009年9月16日水曜日

ザ淀川編集長 南野佳代子さんのご冥福を祈ります


今朝、るんるんでお菓子を買って会社で取った最初の電話が訃報だった。
昨日、それでなんか妙に寝付けなくて夜中に何度も起きたんだなと思った。


ザ淀川の南野さんには、本当に古くからのお付き合いで、ミニコミをやっている人としてとても尊敬していた。

私が、仕事がたくさんありすぎてパニックになってしまうときがあるんです。というと、彼女が

「でも、パニックになってもしかたないやんか。ちょっとづつでもやらないとなぁ」と慰めてくれた。

あの時、ああこの人も同じように頑張っている人なんだなと思った。

「佐伯ちゃんも子どもできるよ。私なんか出産する前日まで仕事して、引き出しに赤ちゃん入れて引き出しをゆらしながら仕事してんよ」

それを聞いて、私も自分の事務所でいつか子どもを育てるが夢だなと思った。

その南野さんは2度乳がんになり、お乳は両方ともなくなったけど元気になったんよ!と言っておられて、
もう南野さんは元気になっていたんだとずっと思っていた。それなのに、1週間ほど前にご飯が食べられないと入院したら、スキルス性の胃がんで手遅れであっという間に死んでしまった。
本人も周囲も入院する前は「ちょっと病院行ってくるわ」という感じだったそうだが1週間目には昏睡状態になったという。

編集部の女性によれば「もうダメかもしれないと思った時にみんなで夜見に行ったときも普通に寝てはるんです。死に顔もそんな苦しい顔してはらへんかったし」と涙ぐんだ。

そういう意味ではいかにも南野さんらしい死に方のような気がする。

取引はあったのに、乳がんになったときにお見舞いに行ったきりで、あとは年賀状などのやりとりになっていた。 請求書にある短い言葉とか、いつも応援してもらってるなと思った。

南野さんはみんなを応援してくれる人だったし、ザ淀川はそういうミニコミなんだ。
本当になんと南野さんはすごい人だったんだろうと思う。 一度ゆっくりしゃべろうなと言ってくれていたのを、今年こそ、今年こそと思いながらできなかったことが悔やまれてならない。

南野さんは本当に頑張った。自社ビルも建てて(プレハブだけどちゃんと2階建て)子供も2人とも成人して本当にすごい。 きっと南野さんはわが人生に悔いなしと思っているに違いない。

そして、私の人生なんて本当にチッポケだなと思って涙が出て止まらなかった。

あんまり泣くので、ネットワークがつながらなくて困っていると言われていたことを思い出し、つなぎに行くことにした。 そういうことしている間だけは泣いたりしないので不思議だわ。


私も本当に好きなことをおもいっきり仕事にして、南野さんの10分の1でも成功してみたいと思います。

南野さん。本当にありがとうございました。 これからは夫の中さんを中心に頑張っていくザ淀川を応援しています。

そして、本当にごめんなさい。
あつかましいですが、一度私の夢の中に出てきてくれませんか?行かないといけないとこ山盛りあると思いますけど。

私が死んだら必ずあいさつに行きますけど、本当に今、南野さんに、とても会いたいです。


ザ淀川編集長 南野佳代子(64歳)さん 
通夜 17日木曜日 19時より 
告別式18日金曜日11時より 
西中島北大阪祭典にて 喪主 夫 中龍男氏
***********************

本当にいいお葬式だった。
アサヒコムにも出たみたいで、第7芸術劇場の復活のために市民から基金を募集したことも初めて知った。
本当に今さらんがら偉大な人だったことを痛感した。




メッセージカードにみんなで言葉を書いてあげるという演出があった。南野さんが最後に編集したザ淀川が配られた。




立派なお葬式でした
最後に2人の娘さんが気丈に明るくメッセージを読み上げ、喪主あいさつでオロオロと涙を流してご主人が
「先に千の風になってしまいました。千の風になって行きたかった世界中に旅行するでしょう。お金には縁のない人生でしたが、本人はガンという爆弾を抱えながらも見事に生きたと思います」とあいさつしたとき本当にすばらしいご夫婦で南野さんは幸せだったんだなと思いました。

0 コメント: