2008年9月23日火曜日

その母親を責めるな

今の日本がいろんな意味で余裕がなくなっているということだ。
その母親が、精神的にしんどくなって、思わず障害のある子どもを殺してしまったことは。

だから、テレビでお母さんにはもっと頑張って欲しかったというのを聞くと、
頑張れなかったからしかたないでしょう。と思ってしまう。

皆がみんな、ご立派だと思ったらいかん。
アホも体の弱い人も精神の弱い人もいるんだ。
そう言う人をどうやって支えて、ちょっとでも強くやっていってもらえるか考えるのが社会だろう。

その母親の悩みを誰か真剣に聞いてくれる人はいなかったのか?
誰かがちょっとでも預かってくれたら。
そんなことにならなかったのではないだろうか。

フィリピン人のAの子どもを、幼稚園前から面倒をたまに見て、保育園でも通訳としてたまに面談などに行かせてもらった経験がある。
ある日、保育園の園長さんが、話があると言ってきた。

どうも、お子さんは知的障害があるのではないかと思うと言われた。
やっぱりと思った。
Aの息子は、異常なほど泣き、集中力がなく、イラついたらカンシャクを起こし、困ったところがあった。
私ももしかしてとどこかによぎっていた。母親もそうだった。
それでも、知能検査を受けてほしいと言われた時のショックは、自分の子どもでもないのに結構大きかった。
Aに説明しながら、私の方が少し涙が出た。 それを見てAはゆっくりでも育つ。最後においつたらいいんだと逆に私を慰めた。


一般的な知的障害よりも、彼の抱えていた精神の安定が取れない障害というのは、扱いはもっと大変だったのではないかと思う。

自慢するわけじゃないけど、Aにとって私というのは、精神的な支えだと思う。本当に辛い部分を共に共感してくれたことで、彼女は前向きに頑張れたと思う。たまに、私が日曜日に息子を預かって、彼氏とデートに行くこともできた。

普通の子育ても大変だ。そして、障害者の子育てはもっと大変で、それを社会全体がサポートしないといけない。今、その余裕がどんどんなくなっているじゃなだろうか。

今Aは、自分の苦労の経験を生かし高槻フィリピン人会の顔役として、先頭切って、いろんなところに顔を出し、フィリピン人どうし助け合っている。 よく、公団住宅の申込用紙の記入とか、面接に出す履歴書などを書いてくれとやってくる。

そういう助け合いがとても希薄になっているから、テレビであの母親を簡単に批評することができるのだ。
私は、あのお母さんも本当に気の毒な人にしか思えてならない。
確かに単純でおろかだったかもしれない。でも、彼女は普通の精神状況ではなかったはずだ。そして、彼女の環境の何かが変わっていたら、ああいうことはしなかったと思う。

本当に計画的犯行だったら、人の多い公園で殺したりするはずがない。


でも、本当に今社会に余裕がないんだなと思う。
Aの息子が障害があったり、母親が蒸発した子をちょっと面倒みたりと、なぜか子どものいない私が子どもセンターに行ったりしたことがあるのだが、児童施設は今、もう定員オーバーで困っているようだ。
今、何人待ちなんですよ。というような老人ホームみたいな話を聞いた。

子どもは社会の財産なのに、まったく大事に育てられていない。
施設で保護されている覚せい剤女の一人息子も、なんかそろそろ東京に行き母親と暮らすかもしれないらしい。 施設がいっぱいなので、母親が引き取りたいと言い出したら断る理由はないという。

もう、力が抜けてしまった。あの母親がまた息子をネタにお金を借りに行く姿が見えてしまう。
よかった東京で。近所やったら私の精神が持たない。 あの女が、どんな手口で在留資格を取得するのかわからないが、おそらく偽装結婚でもするじゃないかなと思う。

これって運命としか言いようがない?いや、施設の考え方がおかしいと思う。
いっしょに暮らさせるのはいいけど、東京でばっちり監視するシステム作っておいてくれないと、息子が母親殺すとかいう悲しい事件になるかもしれんぞと。 腹立つ! もう、関係ないけど。

とにかく、日本、ちょっとおかしいと思うよ。

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