2008年5月22日木曜日

靖国刀の刈谷直治さんはわかってたはずや

中国人のドキュメンタリー監督が「靖国をテーマに映画を作りたいから、靖国刀を作っているところを撮影させてください」言うてきて、それがどういう意味かということを、刀匠の刈谷 直治さんはなんぼ90歳でもわかっていたと思う。


寡黙で、ほとんど喋らない。
ただ黙々と刀を鍛えていくその姿は、職人という言葉がふさわしく、何度もやけどを繰り返したその大きなぶよぶよの手のひらからは、貴重な技術で培われてきたものだと伝わってくる。

映画の中で、靖国についてどういう思いがありますか?とか
あの中で仕事をしてきたことをどう思いますか?

とか、監督が何度か質問するのであるが、彼はその話になるととたんに口をつぐむ。

目は笑っているのだが、答えはないままだ。


そして、ほとんど最後のあたりで、刈谷さんは監督に向かって言う。

「小泉首相の靖国参拝をどう思いますか?中国の人なんてどう感じているのかなと思って」

するとその答えをまた、監督はこれまたよく考えて正直に答えるのだ。

思いがあるのだろうなと思うと。

すると匠は
「小泉さんは亡くなった方の魂を弔うために祈りを捧げ、もう戦争をしないということを誓うために行っているというている。私も小泉さんといっしょのようなものですわ。もう、あの中では二度と仕事はしたくない。戦争とは本当にいやなものなんです」

と語る。

 刈谷 直治さんは騙されてあの映画に出演し、裏切られた気持ちですと。いうような内容の紙を読んでいるYouTubeの動画を見たけど、

 その後、どんなことが刈谷さんにあったのかはわからないけど、少なくとも映画を撮影するときに、この映画が刈谷さんの刀のシーンだけの映画であるとは思ってなかったはずだし、
監督が靖国という非常に難しいテーマを何の色めがねもつけずに表現しようとしていることを匠はわかっていたと思う。


 私は、この映画の一番の見せ場はこの匠が喋るシーンだと思う。
 
彼が今も日本刀を愛し、日本刀の精神を大切にして、まさに芸術作品としての日本刀を作り続ける精神も、戦争に利用された犠牲者なんであると思えるのだ。

彼も深い悲しみの中で、もくもくとひたむきに魂を込めた刀を作りながら、戦争で亡くなった方への鎮魂の思いを持っているのだと理解できるのだ。


 その後に、有名な日本軍が中国人の首を刀で落とす写真などがオペラの音楽とともに放映されるのであるが、本当に、そのシーンが悲しいのである。 戦争の愚かさをせつせつと訴えてくるのだ。 それは日本刀を貶めているシーンとは私には思えない。

 すばらしい日本刀がこんなおかしな風に使われてしまったんだな。
 あの時は、本当にみんなおかしくなっていたんだ。
 そして、たくさんの人が死んだんだ。

そういうことが胸に迫って、泣けて泣けてしかたなかった。


 実は、うちの家にもおじいさんのとても立派な日本刀が2本ある。
 軍刀で、これで殺した人もいたそうである。

 いつか処分に困るかもしれないなと思っていたんだけど、少なくとも私の代にはこれは大切にして戦争を語る資料として保管したいと思った。

 その刀の重さをこれからもっと重く感じられるようになったと思う。

参考にしてください

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