カギをかけない快感
田舎にたまに帰ると、スーパーでかぎなんかかけていなかったんだけど、最近はかけるようになっていたのでちょびっと寂しかった。
私の子供頃は、スーパーも家もカギなんてかけてなかった。
ちょっと出かけている間に、お店の写真スタジオに靴の足跡があって、家に空き巣が入ったようだ!とお母さんが1回だけあせったことがあったが、お友達が留守の間に家に入って何かを届けてくれていただけだったことがあった。
ま、最近は万引きがあったり、放火によるボヤがあったりして、夜は鍵をかけるようになったが、家の鍵は実は庭のとある場所にさりげなく置いてある。
家にいる昼間はほとんどかけていないので、近所の人が入ってくることなんかいくらでもある。
ちょっとスーパーに買い物に出ていると、近所のおじちゃんが野菜をカゴいっぱい台所に届けてくれたりすることもあった。
このカゴというのをオシャレな竹かごとか思ったらいかんよ。
農協に納品する用のプラスチックの子どもが入るような大カゴで届けられているのだ。
特産のみかんや柿なんて立って両手を拡げていたらもらえるような感じである。
家の庭には鶏がおり、車にタマゴのカラをひかせてコナゴナにしてもらって、それを放し飼いの鶏に食べさせたりしているお家も私が小さい頃にはあった。
冷蔵庫にはそのお家でしめたニワトリがニワトリの形のままあったりする
。
小学校の頃、お友達の家で、お友達が器用にその鶏の肉を切ってチキンライスを作ってくれたことがある。私はそこまで田舎の育ちじゃなかったので、ニワトリの形が生々しくてとてもビビッタことがある。
でまぁ。今思うとお金はないけど、食べる物はそれなりにあるから、なんとなくのんびりしていたんじゃないだろうか。
今の貧しさって、やっぱり食べるものがないからじゃないかなと私は思うんだけど。
食糧自給率が低いというのは、やはり社会不安につながるんじゃないだろうか。
食べるというのは、人間の基本的欲求だと思うし、最後まで残る欲求だと思う。
それを海外依存率が高まるというのは、社会不安なんじゃないだろうか。
お金はなくても食糧があると結構安心だ。 外食は抑えるけどスーパーでそれなりの買い物ができてたら、ま、いいかと思える。 冷蔵庫がキレイでジャガイモとか玉ねぎとか入っていたらなんとかなるかと思えるというのはある。
世の中が、殺伐としているのは、なんでかなぁと思うんだけど、
私しゃやっぱり農村を大事にせないかんのんじゃないかと。 私は思うのであります。
で、なんでこんなこと書いてるかというたら、
ただでフラッシュのプログラムくれるサイトがあるんだけど、
IDとパスワード間違ったら入れないのよ。
なんで。ただやのに。
IDパスワードの再発行手続きとっても4回間違ったら15分も待たないといけないなんて。
あーめんどくさい。
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