2007年3月2日金曜日

子どもに「やらないかんこと・やったらいかんこと」をキチンと教えろ

最近の事件を見ていて思うのは、子どもがとっても直情的なことである。
子どもなんて直情的なものだ。

 オモチャがある。欲しい。買って! うえ~ん。

そういう3歳くらいの感覚のまま大きくなってしまうから人生が辛いのだ。

 俺の女とした 腹立つ ボコボコにしてやる!

まったく同じじゃないか。

したらいかんことは、シタライカン。
また、することをシナイトイケナイ。 でないと結局、シンドクなってしまう。

人生は基本的にはガマンなんだと。

それを小さい子どものうちに叩きこんでやらないと、何もかもがしんどく辛い子になってしまう。
つくづく思ったのであるが、母親にとって息子は理想の恋人というのだろうか、女の子とはまた違うかわいらしさがある。 もう、目に入れても痛くないとはこのことかというほど。
「母を訪ねて3000里」 という話があったけど、恋人は3000里も探してくれない。 息子だから訪ねてくれるのだ。

 だから、ついつい可愛がってしまう。 泣いたら抱きしめてあやしてしまう。
 あんまり泣かせたら近所が心配するから。とか、いろんな理由をつけて。
 無責任でキママな母親は、自分の不幸を省みて、将来息子に自分を何とかしてもらいたくて期待をかける。夢を持つ。

 3歳のうちはいい。それが10歳になり、15歳になってくると今度は手に終えなくなる。
「ババアうるさい!」と言われてしまう。 「俺がしたいことしてるんや。オカンに迷惑かけてないわ」とか言い出す。

 すると母親は、あんなに握っていた手を突然、パッと離してしまい、今度は息子がまるでいなかった人のようにしてしまうのだ。

 息子は母親の理想と自分が違うことに今度は悩み、またアキラメテぐれる。ニートになる。

 アホな話である。

 高い理想なんて持たずに、ただしなければいけないことをシロ! シタライカンことはガマンしろ! と普通に育てたらよかっただけなのに。 

 子沢山のときは、そんなに夢見ることもなかったから、普通に子どもは育った。
 少子化になって、手をかけすぎてヘンな子どもができたんじゃないだろうか?








「そわそわ病が出てな。落ち着かないねん。何もできへんねん」
 ノイローゼのFから朝から電話がある。
 いっしょに暮らしている男が仕事の関係で出て行くかもしれへんという話が出てから、彼女はそういうことを言うようになった。 Fも体が不自由で生まれ、母親に甘やかされて育ったのだ。

 
 みんないつかは一人で生きていかないといけないんだよ。
 それはそんなに難しいことじゃないよ。

 「ゆうちゃんに助けて欲しい」
 そういうわけにはいかんやろ。

 「私は何もできない」
 いや。してないだけ。

 何かしてみろ。何でもできるぞ。

 そういうことも彼女は教えられてなかった。

 「あんた、生活保護受けて精神病院のグループホームにでも入ったらどうや。優雅に暮らせると思うけどな。言うとくけど、私しゃ必死で働いてるんやで。私はあんたがうらやましいけどね。1日図書館で本を読んだりするけどな」 

 それぞれに鍋のフタ。

 これは私の父親の名言である。 
 うちの父親は、そういう格言をチラシの裏なんかに書くのが趣味なんだが、
 小さい頃は、その意味がわからず、どういう意味?と聞いたら、

 それぞれに度量に合ったフタがあるものだということだ。と解説してもらった。
 それでもよくわからなかったけど、今はよくわかる。
 それなりでいいということである。 それなりでいいから。 がんばれよ。

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