2008年11月3日月曜日

アセクシャル

偶然、そういう言葉を知った。

セックスにまったく興味のない人の性属性なんだそうだ。

楽でいいだろうなと思う。でも、突然さびしくなったりするのだそうで。


「我自閉症に生まれて」という本を読んだときに、母親に抱き締められたという欲求はあるのだけど、抱きしめられすぎて怖いという気持ちもあり、自分で自分を締め付ける機械を作り、安心して締め付けられたいという欲求を解消したという話を読んだことがある。

 胎児のときのホルモンの関係で、ゲイとかになったりするそうだから、アセクシャルというのもそういうホルモンバランスの異常かも。

 恋愛至上主義のこの世が、アセクシャルの人は辛いのだそうで。なるほどなぁと思った。
実際、性格の不一致で離婚とかいうのの半分は性の不一致なんだという。性の問題なんて非常にプライベートな問題だから、あまり表に出ない。たまたま夫や妻が実はアセクシャルだったとかで離婚というのもあると思うなぁ。

でも、セックスレスって本当に辛い。精神的に落ち込むし、ノイローゼになってしまう人だって多いのである。 

本当に、セックスってめんどくさいなと思うけどね。そんな欲求がなかったら楽でたまらんと思うけどな。人類は繁栄しないけど。

 つくづく思うけど、やっぱり学校で勉強だけ教えるじゃなくてやね。恋愛小説読んだり、恋愛のマナーとかも教えて、若い性欲も普通にある頃に結婚するようにもっていくことが、大切やじゃないだろうか。なんか、ホリエモンみたいにお金で何でも買えるし、それが偉いだよというような特殊な価値観が自然から離れさせているのじゃないだろうか。

 なるべく早く結婚して、そんな贅沢はないけど、仲良くまじめに頑張って子ども育てて生きていくというのが本来じゃないだろうかと。アセクシャルの方も若い頃には弱いけど性欲があったりするそうだ。 年とってきたら普通に性欲なんて枯れるの当たり前だし、少子高齢化とかいうけど、晩婚化が問題なんだよ。 晩婚で性欲なんて少ないの当たり前だし、勉強ばっかりさせてきたのが悪いじゃなかろうかと。


ほんまに、私も自然に生きてみたかったなぁ。ま。私なりに幸せなんだけどね。

最近思うのが、本当の幸せってなんだろうと思うなぁ。と、いうことだ。

修道院の女性は本当に幸せそうだったけど。神様のお嫁さんで信じきっておられるので。2000年前のことなんか、私は、本当かどうかわからんじゃないかと思ってしまうので、幸せになれないのであるが。

ま。でも、今の時代、多様な性、多様な生き方があってしかるべきだと思う。文明の世に生まれた喜びを謳歌したらよい。 セックスだけが人生じゃないのは確かだ。

とりあえず私はがんがん儲かったりして、いろんな人にばらまいてみたいなとか。
宝くじ当たらないかしらとか。空想するのだった。

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