2010年8月27日金曜日

人との距離感

車で深夜走っているときNHKのラジオ小説みたいなのを聞いていた。
河童の恩返しの話がアレンジされたもので、よく覚えてないのだけど、人間というもののおもしろさが伝わってきて、なかなか秀逸だった。

簡単に言うと、河童が捕まえられて命乞いをし、お礼に毎日魚を届けると約束した。ただ、河童は刃物が怖いので、魚を置いておく場所に絶対に刃物は置かないようにしてください。
と約束して別れた。 それから毎日のように魚を届けたが、やがて河童も年を取り、魚も少なくなってきて、ちょっとした魚を取るのも苦労するようになった。 もう疲労コンパイ、しかし、河童の意地で死んでも続けなければと、ボロボロになりながら魚を届け続けた。 ところが、ある日、いつも置いていく場所に刃物が置いてあって、心からホットして魚を届けるのをやめた。

届けてもらった人間は、最初はうれしくて、アユはもう飽きたとか好きなことを言っていたが、だんだんと毎日のように河童が家に来ていることが気持ち悪くなり、ある日刃物を置いたという話である。


人間て確かに世話になりすぎた人には会いたくなくなったりするらしい。
河童の話とちょっと違うかもしれないけど。結局、どこかで無理している関係というのは、結構最後に辛い結果になる気がする。


犯罪を起こした少年を引き取って子どものように世話するボランティアとかあるのだけど、やっている人に聞いたら、関係なくなったらロクに連絡してくれないお礼状のひとつもくれないのが本当に多いのだそうだ。

そういうもんだろうなと思う。

だいたい人の世話なんてものは、世話させて頂いてありがたいくらいの勢いでやらないと裏切られる。
こんなに世話してやったのに。なんて思ったら、もう大損である。
人の世話が楽しい。それが勉強になる。自分の人生の充実につながる。と思わないといけない。

だいたい、愛人に貢いで貢いで、こんなにしてあげたのに!と思って、その愛人が自分の思い通りになったりすることはない。

で、あげくに貢げなくなると、その愛人は悪口雑言好きなことを言って攻撃してきたりするのである。
「一時はお世話になった人ですから…」とかいう奥ゆかしい人はあまりいない。


人との距離感というのは、結構難しい。


先日、親と子の関係の分析をさせたら日本一の天才「岩月謙司」さんが、結局有罪になったというのを知った。彼の名前を知らなくても、アダルトチルドレンという名前なら知っている人が多いと思うが、


彼は一時期は、アンアンにも連載を持っていた超売れっ子である。
上記の本なんか私は名作中の名作だと思う。

その彼の人気が急増し、急増しすぎて神様のように祭り上げられ、彼にどうしてもカウンセリングをしてもらいたい「問題のある女性」が彼の家に来て、彼の育てなおしという独特の癒しを体験したいと言ってきた。
彼は、その希望をかなえてあげたのであるが、問題のある女性は、あまりに世話になりすぎて、今度は彼を告訴し、彼は有罪になってしまった。 詳しくはここに書いてある。


私は彼の本が好きで、彼の本をいろいろ読んでいるから、彼のした育てなおしについて無罪を疑わない。しかし、確かに年頃の女性とお風呂に入ることは岩月さんはムリしてやったことだと思う。 ムリして頑張ってやってあげたことで、訴えられて先生はさぞかし辛い思いをしているじゃないかなと思う。

「そんな、ドスケベ教授ですよ!」と思う人は多いと思う。


じゃ、こんな話もしてあげる。
最近、私は風俗経営している男性に話を聞いたのであるが、彼は4軒やっているのであるが、普通のエステではないらしい。 ニューハーフの人が男性を言葉でいたぶってあげて、後ろから何かしてくれるという要望をかなえてくれるお店なんだそうだ。こういった「ソフトな」分野というのは、風俗業界では実は一番需要が多いのだそうだ。
「たぶん母親に小さい頃にヘンにいじくりまわされた男が多いじゃないかなぁ」と聞いた。

確か大学の頃に読んだ山田詠美の本の中に、彼女がSMの女王様のアルバイトしていたときの実話をモチーフにした話で、男性が針を何本も刺して欲しいという要望があり、それが自分には怖くてできず、トップの女王様を呼んで助けてもらい「ほら、坊や、これが最後の針よ。辛いけど頑張れるわね。これで私とあなたは絆が深くなるのよ!」とかなんとか、言って最後の針を刺したとたんに、男は「お母さん。僕のお母さん!」と絶叫したという話があったように思う。


これを岩月教授的に解説すると、女性である母親は夫から女性として愛されることができず、無意識に息子を男性として見てしまい、理想の男性として溺愛し、常に理想の男であることを彼に要求する。
息子はこれまた母親に厳しく言われたり、気ままに甘やかされたりする中で、母=女は怖い。と潜在的に思いながらも、やはりどこかで母親に愛されたいと思う。 そして、母親に気に入られたいと頑張るが、どうあがいても母親の理想の男にはなれそうにない。ストレスがたまる。 そして、母親も自分の息子に興味をなくす。 やがて息子はストレスと寂しさから、母親のような女性にいたぶられる快感をこれまた忘れられずドMになってしまう。
(ちょっと違うかもしれませんが…)


まぁ。賛否両論いろいろあると思うけど、人間の心の闇を岩月さんほど明快に解説する人はいないのである。


子どもの頃に、母親や父親からしっかり愛された記憶というのはとても純粋な財産だ。
どんな哺乳類も母親が乳を飲ませて子どもを可愛がって育てる。そこに理屈なんかない。 
我々だって哺乳類なのに、文明がややこしくしてしまい、自分の財産を受け継ぐ人であるとか、こういう人になって欲しいとかの欲求を持って育ててしまう。 すると本能の塊である赤ちゃんは雰囲気を察して育ってしまうのだ。

子どもは可愛い!どんな子どもでも可愛い!3歳くらいまでは超可愛い!それは神様がくれた自然の摂理なのである。


岩月さんは生物学の教授で、動物を観察する視点で人間を観察しておられる。だからこそこういう発想ができるじゃないだろうかと思う。ぜひ、新作を切望します。



で、話題がやっとここでもどるのですが。
共依存とかいう言葉もあって、誰かに何とかして欲しい人とか増えているのですが、結局、そんな人を世話してあげたら岩月さんみたいにひどいメに会うわけですよ。

じゃ、どうしたらいいんだろうかと。
夫婦であっても腹八分目。他人はむしろ腹6分目に付き合うしかない。 というのが大神様である美輪明宏様のご信託なのである。


そんな寂しいって思うかもしれん。夫婦ですら腹8分目なんて…。


私はこう見えても茶道部の部長をしていたんです。 6年も茶道をやってきました。 日本の文化として茶道くらいユニークなものはないと思います。作法が芸術なわけです。 暇になったらまたやりたいことのひとつです。 結論を言いましょう。茶道の人との距離感の保ち方は最高ですよ。 そして心地がいいです。茶室では個人的なこととか、政治のこととか一切話しをしないというルールがあります。 要するに当たり障りの無い会話をするわけです。茶室は超狭い。その狭い中で芸術を互いに鑑賞しながら、自然への感謝をする。
すばらしい茶道家は、存在そのものでその場の雰囲気を変えてしまうオーラを持つのだそうです。それはもてなしの心からきています。 


まぁ。ねぇ。この混沌とした世の中を生きるために、人間はもっと崇高(すうこう)に発展しないといかんと思いますよ。
崇高に発展するということは、宗教に走るということではない。 思索をめぐらし、哲学を極めることしかないわけです。そうすると、いろんなことがわかって、あまり寂しいという感覚はなくなってくるのである。


だから ワビ サビ というのではないかなと。

茶道には文化としてもうちょっと頑張ってもらいたいなと私は思うんです。

3 コメント:

匿名 さんのコメント...

岩月さんとは以前お会いしたことがあるよ~
裁判の結果は残念だったけど、著作で頑張って欲しい。

匿名 さんのコメント...

数年前の書き込みへの返信でごめんなさい。
私も岩月先生の本を読ませてもらってます。
彼の視点は群を抜いてる素晴らしさだと思いました。
少しずつ復帰されてるとの噂を耳にしましたが、また出版してもらえるよう、祈ってます。

さいきゆみ さんのコメント...

岩月さんはお元気でがんばっておられると思いますよ。
すばらしい先生です。私も応援しています。