食わんがための芸
最近、北島三郎の名曲「風雪流れ旅」のモデルになった高橋竹山のCDをBK1のポイントでもらったので、たまに聞いている。
物悲しいのに力強い。単純なメロディなのに引き込まれる。
それはソウルそのもので、生きるということはこういうもので、必死に生きるのはしんどくて悲しいけども、それが強さとなり美しさなのだと教えてくれる。
高橋竹山は「私の芸は食わんがための芸だから教えようと思って教えられるものではない」と言っていたという。
物乞いのように家を回ってそれこそ風雪に耐えて三味線を弾きお金をもらっていたが、雨で三味線がダメになってしまい、しかたがないので尺八をして稼いだという話も読んだ。
つくづく思うが、生きるということは食べるためにあるだという基本を忘れてはいかん。
食べるために人間は生きて活動をしているので、
そこにカッコつける必要などないのである。
豊かになって、自分らしさとか、見栄を張るとかそういう言葉が邪魔をして見えなくなる。
食わんがために働くんだというシンプルな信念。 その信念の力強さにこんなにも魅せられる。
車の中とかで大きな音で聞くと涙が出てくるし、仕事しながら小さな音で流しているととても集中できる。
マライアキャリーのhero とビヨンセのlisten は私のお葬式で流して欲しいなと思う私の人生のテーマ曲なのですが、
出棺のときには「津軽じょんがら節」でお願いしたいと思ったりしている。
まぁ。誰も葬式の世話してくれないかもしれないので、生前の100歳の誕生日会で流してもらってもいい。
とりあえず死ぬまでに一度は津軽に行って生のじょんがら節を聞いてみたなぁという夢ができてしまった。
さて…
今日は、私の机の上から愛用していたbluetooth のイヤフォンがないのよ。不思議でたまらない。
skypeできない!このごろ電話代がこれで助かっていたのですが、またこのイヤフォン買ったら節約パーよ。
会社の蛍光灯がついに切れた。 なんかブルーな気分なのですが、竹山を聞いてめげません。
どーも小さいのは便利でいいんだが、小さすぎるとばたばたしてると無くすよな。 ホンマに。
落ち込まないけど。そんなことでは。
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