2008年12月27日土曜日

モチベーション:飯島愛さんの孤独死に思う

精神を病んでいる人とか、いろいろ周囲にいて見ていて思うことは、
自分に何の実力も財産といえるものもないのに、
どこかで自分がスペシャルな存在でありたいという願望があって、
妙に背伸びしていることである。

人間なんて小さい存在で、誰しも誰かに認めてもらいたいという欲求がある。

母親に認められたい。父親に認められたい。先生に褒められたい。


でも、忘れてはいけないことは、その親や先生も、
誰かに認められたい、褒められたいと思っている普通の人間で、別に神様でも何でもない。

実際、誰に褒められようともメリットなんてない。

実は我々は何かに依存して楽に生きていきたいだけで、それに有利だから誰かに認めてもらいたいのではないか。

遊びたい=。ご飯食べたい=。と言っているままで成長してしまった人が大人になりきれず、
ホンネは楽に生きていきたいだけなのに、うまくいかないのを環境のせいにし「私はこんなハズじゃないのだ」とか勝手に思い、精神がおかしくなる。(私もそういうところがある)

そんなこと思わなくていい。私はそんなに強くないんだ。生きていけたらいいんだ。
生きるために生きてるんだ。
くらいに思えたら、そんなに辛くないんじゃないかなと思うのだけど。

飯島愛さんが孤独死したニュースを見て、そういう女性って多いよなと思いながら、そんなことを考えた。
彼女は精神を病んでいたと思う。
彼女は小さい頃から、自分をどこかで認められなくて許せなかったじゃないだろうかと思う。
そんなこと思わずに、これで私はいいんだと思えたら、芸能界でそれなりにやっていけている自分を自分で誇れることができたんじゃないだろうか。

誤解されるかもしれないけど、人間は結局は一人だと私は思う。
自分で自分を認めてやらなくて誰が認めてくれるのか。


自分は所詮こんなもんだ。でも、それなりにやっているんだ。がんばっているんだ。
もう、しかたない。

そう思えたら「新しいビジネスをしたい」なんて睡眠薬飲みながら背伸びする必要もなかったと思う。

ないことを嘆くより、あるものを数え、自分で自分を褒めながら、こつこつできることをやっていくしかない。人になんて思われようともいいんだと思えないといけない。
容色が衰える中で芸能界でやっていくのがつらいなんて思う必要もなく、
仕事があるのをありがたいと思って続けられたのではないだろうか。
出た本が一冊だけで、それからあとが続かなかったって、それをネタに生きていけたと思うけど。

贅沢が止まらなかった小室哲也もそうだと思う。
売れる曲が売れなくなったときに、誰にどう思われようともいいんだと思えたら、
贅沢を止めることができた。
今の自分はこれが当たり前なんだと思えたと思う。
そして、いろんなことを感謝できたんじゃないだろうか。

誰かに認められたいなんて。くだらないモチベーションは持たない方がいい。
楽に生きていきたいなんて思わない方がよい。
自分のために、誰かのために何かをしたい。
それが純粋なパワーになるじゃないかなと思う。
自分を褒めるのは自分しかない。自分を成長させるのも自分だ。
成功させるのも自分だ。自分の人生を自分で思う存分に生きるんだ。
私はそういう風に思えるように注意している。


後日、ひろゆきさんのブログで彼女が元事務所ともめていたことを知る。芸能界って大変なんだなぁ

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