2020年6月20日土曜日

父親が亡くなりました

今年のお正月は、同窓会があって、いっしょにお正月を過ごしたのだが、それが元気な父の最後になってしまった。かなり弱っているなと感じて、ゴールデンウィークには、大阪に呼び、山岸健康院の治療を受けさせたいなどと思っていたのだが、それはもう遅かった。

3月18日に、風呂場で意識が遠のいて倒れて、救急車で運ばれたが、その時に悪性リンパ腫であることがわかった。思えば、去年の11月に行方不明になってしまったのも、おそらく脳にガンが回っていたので一時的な意識障害が出ていたのかもしれない。あの時に、もっと真剣に精密検査を受けさせていたら…


そんな事を思ってしまう。もはや遅いし、もうしかたない。
コロナのせいで、入院した父親に会う事もままならず、本当に辛かった。そして、会いに行ける時期になって、なぜか、私の周囲の仕事で、付き合ってる会社のメインPCがぶっとんだり、なんでこんな事になるということがいろいろ出た。

もう、諦めろと言われているような気持ちになった。そして、意識は私が行く3日前からなくなり、私が愛媛に帰った前日に亡くなった。

3月の末に1週間ほど過ごして父親と最後の時間を過ごす事ができたのだが、その時に、体を触った感じでは、そうとう悪いと思った。 全身ガンだなと思った。これが最後かもしれないなと思って、行列のできるパン屋に朝から並んで、美味しい食パンを買って食べてもらったり、いろんな事を私としたら、ホントにやった。それが良かったと思っている。
パンを買って帰る道で、「お父さん、いっしょにパンを食べようよ。美味しいパンだよ。」と思って泣いた。美味しい物をいっしょに食べられたら、それだけで幸せを感じられる人が、一人いなくなってしまった

健康オタクで、そうとう詳しいつもりの私だが、父親が調子が悪いのは、木から落ちたせいだと思いこんでいたのだ。

もう、悔しくて、悔しくてたまらない。どれだけ、ガンに効く健康食品の広告作ってきたかわからない私なのに…

葬儀が終わって1週間が過ぎて、そうとう辛い毎日を過ごしているが、不思議な事に、私は父親の声が聞こえてしかたない。

愛媛からの帰りに、車を運転しながら、泣けてきて「お父さーん」と、言うと、さーっとトラックが追い越していったのが、トラックの背中部分に「SANKO」と書いてあった。三光カメラというお店を父はしていたのである。

長い間、車を運転してきたけど、SANKOとだけ書いてあるトラックが前を追い越していったことなんてなかったと思う。それが、父の名前を呼ぶと前を通った。

ほんとにびっくりした。父親が笑っている気がした。

とても、信じてはもらえないと思うが、

何をしていても、突然、泣きたくなり、泣いてしまったりするのだが、その度に、
「泣いてもしょうがなかろ」というバリバリの伊予弁が聞こえてくる。
「ほなん泣くのは、自分に自信がないけんよ」とか、
「わしは、ここにおる。お酒が飲みたい」
「お母さんに電話せんかい」
「妹は大丈夫やけん」

など、都合のいい妄想だとは思うのだが、ほんとに、聞こえて、聞こえてしかたない。
「ええ(よい)お酒にしてんよ」
とか、面白い事も言うので、泣いていたのに笑ってしまう。

と、いうわけで、ものすごい父親を感じて過ごしている。 
お陰で、かなり楽に過ごせている気がしている。

統合失調症になったと言われないように注意して、もはや、この妄想を楽しんだらいいなと思っています。 父親が、側にいて、常にアドバイスしてくれている。

いつも、父が
「人生は何かをするためにあるんやけんの。泣き言を言わずにやれることをやりなさい」
というような事を常に言うので…私は、これからも、ますます頑張ります!


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