親を踏み台にして伸びてくれ
説明するとややこしくなるのでばくっと省略するけど、
大昔、ヤクザの親分に真剣に口説かれたことがあり、それを若かった私はまったく気がつかず、いつも奢ってくれる楽しいおじ様(というよりお爺さんで地元のヤクザであるということも知らなかったわけで)で、結構仲良く話を聞いていた時期がある。
ヤクザというても薬とかはしてない、わりと健全なヤクザで、右翼の活動をし、麻雀賭博と、地元の水商売をいろいろ世話し、具体的には不動産業もやっているようであった。
古典的な、でも正真正銘のヤクザで、広島ヤクザと大阪ヤクザの彫物の柄が違うとか、なるほどトークを聞いておもしろかった。
こっちもだんだんわかってきて、やがて私がまったく親分を男としては興味がないとわかると、す~っと他人行儀になってしまいましたが…。w
そいで、まぁ、その周辺のドロップアウトな人生を歩んでいる人のお話を何人か聞いた事がある。 本当に10代の若い子とか純粋な笑顔の男の子とかいたんで、どうしてそういう世界に憧れたりするのか、まったくわからなかったし、そっちの方が正義派の私としてはとても興味があった。
総じて、家が貧しく、アホで、大変な人生があり、なんとかしてカッコよく生きていける今の状況を手に入れたのだということがわかった。
本当に彼らはヤクザの世界がカッコいいと思っていた。まぁ。なんというか単純なんだろうなと思ったが、そういう意味ではいい人なんじゃないかなと思った。
親分になんでイレズミなんか入れるんですか?と聞いたら、
「まぁ若い時はカッコいいと思うんだよ。若気のいたりじゃないとあれは入れられないよと」聞いた。
今は、結構な方がファッションで入れておられるけど、それもまぁ。純粋にカッコいいと思ってないと入れないよね。
イレズミがカッコいいという発想は私には、まったくわからなかったし、今もわからないが、そういうことをすることで自分が変れると思うというのはわかる気がする。
それほど彼らの生い立ちは、それはいつの時代の話かというような苦労話を聞かされた。
畑で麦踏みをさせられたとか、それは民話かなと。
酔っ払った親に、素っ裸で雪の中に放り出されたとか。それは酒じゃなくって薬じゃないのか?
というような話を聞いて、それは本当に可哀想だと思った。
また、そういう人が顔は純粋ないい顔していた。(ま、わからんけども)
検証したわけじゃないので、話がでかくなっているのかもしれないが、簡単に言うと親がダメな家庭が多かったように思う。
で、子どもがそんな親でも賢かったらよかったが、小説と違って単純でこれまたアホで、いきってハデなことして借金作って困ってみたいな…
しかし、その頃は、何でも選ばずに働いたらなんとかなる時代じゃなかったかなと思うし、やっぱりそういう人間は甘えているじゃないかなと。
本当に細かくはわからんし、無責任だけど。
ヤクザというものの、全体的なバカさ加減は完全に嫌だなと思いました。
ヤクザって、甘えた商売だと思うわ。 強引にこの門松を買えとか言うて商店街を回って買ってくれないと暴れてやるとか、それはいかんやろと思ったな。
やっぱり、喜ばれるものを作ってありがとう言われて商売でしょ。 マージャン屋はまぁいいとして…。
で、さらに考えたのは、でも人間は、確かに全員が真面目に頑張れるエリートじゃないわなということも思った。
アホな奴はおるよなと。 全員真面目に働けるわけはないわと。
ケンカでかっとなって、人を殺してしまった人から聞いたけど、結構あっさり死んでしまったそうだ。 それでも、人間ちゃんと刑務所から出て働いて生きていけるのねと思ったが、まぁ。本当に世の中は、道を踏み外すのは簡単なんだなと思った。 その人もアホやったんやと言うとりました。
で、そのアホな奴を、世の中がほったらかしにして、アホやからしょうがないと突き放すことが世の中を悪くするじゃないかなと。 社会の民度を上げていくようなことをしていかんといかんなとか思った。
まぁ。そのようなことを考えて、やがて私は エロアニメだけはいかん。あれは子どもが見たらアホになる!作らせるな!という運動に巡りあってしまったのかなと。
(今、石原慎太郎さんは従軍慰安婦問題で結構叩かれているが、同人アニメの即売会である「コミケなんか東京からなくなってもいい」と言ってくれたありがたい人なので、私としては、ありがたい方だったのであります。彼は純粋な人なんだと思います。たぶん。)
今日久しぶりに音楽聞いて泣いてしまったよ。
この歌を聞くと子どもというものが、親に対する思いというのは、何かこう締め付けられるようなものがあるだなぁと感じてしまう。
でも、実際の世の中が汚くて困る。母親が男作って出て行き、里親にレイプされたとか、
生活に困って、母と娘でヘルスの面接に来たとか、もう 親なんかいらんやろと思う。
フィリピンで何百人単位で生活している孤児院とか見に行ったことがあるが、もうパレスと呼ぶにふさわしい立派な所で、むっちゃ明るく生きていた(個人的にそんなに話を聞いたわけじゃないが) で、そこの体育館の壁に書いてあったのが 「どんなに飛び跳ねても叫んでもいい!でも悪いことはするな!」って書いてあったのがジーンと来た。
バックストリートボーイズの音楽に合わせて見事な踊りとか見せてもらったんだけど、英語の歌詞で細かいこと忘れたけど、僕達は希望に燃えて生きていくんだ。という感じのテーマ曲で、なんか泣けて泣けてしかたなかったのを覚えている。
それでもたまに、そこからもドロップアウトしてしまって、ギャングになる子もいるそうで…。基本的には薬がきっかけになるようです。(薬はホントに怖いと思います)
で、私が今回、言いたいのは、親なんかなくても強く生きろ!
ということです。
確かに私は親がいるから、そんなこと言えるのかもしれないけど、親がボロやったらしかたないじゃないかと。親を踏み越えて、生まれたことを喜んで生きて欲しいし、今度は立派な親になって家庭を持ってもらいたいなと思う。 まぁ。別に今の時代、どうしても結婚しないといけないものでもないけど。
なんか、親がないとか、育ちがしんどかったとかいうのは、自分の根っこの部分が不安定な気がして辛いのだろうとは思うけど、だからって、この文明の世に生まれた歓びを感じないこともないわけで。 やはり、生まれた歓びを感じて強く生きて、働く歓びを実らせて楽しくやってもらいたいなと思う。 不幸な生い立ちに甘えたら、結局損するのは自分なんだから。
私はいつもそういう子に言うのは、親を踏み台にして自由に生きたらよいと。 親も人間で親もバカでダメな奴なんだと見下すことができたら大人になるじゃないかなと。
子どもの貧困が問題になっているけど、本当に頑張って真面目に賢く生きて欲しいと思う。
世の中は捨てたもんじゃない。
ぶっちゃけ、この貧乏な私が、これまでの社会活動の中で結構なお金も時間も使い、様々なことをしてまいりました。 なんでか理由はわからん。 ただ、そういう人は結構多いし、子どもが困っていたら、大人は絶対に手を差し伸べてくれると思う。
カスパルが何億ものお金を集められたのも、そういう私みたいな人間がたくさん世の中にはいる証だと思う。
この前、大阪のマンションで母子が餓死していたというニュースを聞いた。 本当に辛い。 近所だったら私は絶対に声をかけたのに!とか思うけど…。
そういう人は遠慮はいらない、助けてを言ってください。
基本世の中は厳しいし、頑張らないといけないことばかりだけど、
アホなことせんと、頑張ってたらいいことはあるし、いい人にも会えると思う。
犯罪者になんかなる必要はないし、ましてや餓死する必要もないと思う。
困ったら助けてくれる人はいます。
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