2007年11月11日日曜日

働く喜び実らせて

今朝、ラジオで中途失明の男性が弁士となって優勝した弁論大会を聞いていて思わず泣いた。

 働いている会社を失明のために余儀なく退職し、その後入学した盲学校の入学式で
 「働く喜び実らせて」という歌詞が彼の心に響いた。
 必ず社会に復帰すると決意したという内容だった。

 
私も偉そうに言っていても、今失明したら死んでしまうかもしれないなと。
やたら目にいいというものは買ってしまうのだけど。
 
本当に頭が下がるいい弁論だった。

 (完全に失明した人でもパソコン使ってるそうだけど。まるで見えているようにタイプ入力できるそうですが…)

 やっぱり人間働いてないと寂しい。

 先日、ほんまに話を聞いて落ち込んだことがあった。

 もう忘れてしまった覚せい剤女であるが、息子の実の父親から電話があった。
(ちなみに、このブログの一番上の左側のブログ検索で「覚せい剤」で検索してもらったら過去の覚せい剤女を私が逮捕した経緯についてすべてのブログを見つけることができます)


 刑務所から出てきて、覚せい剤女は昼間のスーパーか何かの仕事をしているらしい。
 同じフィリピン人の女の友人曰く「まじめにやっている」という。

覚せい剤女には、息子がいたが、
本当のお父さんである「トンタン」と
女の愛人である「パパ(東京のアホサラリーマン)」というのがいた。

 女が最初に「キャバクラはもう無理だから託児所のない普通のスナックに勤めたいから息子を夜見てくれないだろうか?」と私に頼んできたときに、

彼女は
「息子のお父さんからは月3万くらいもらう程度なのよ。ほとんど会うことない」
と聞いて、いたく私は同情してしまったのである。



 ところが実際は、愛人から毎月3万円。 
 トンタンからは毎月生活費として15万近く。(トンタンは自営でお金が自由になる)
 加えて母子家庭の手当など含めると軽く働いたらかなりいい生活ができたと思う。

 ところが、覚せい剤やらギャンブルやらで、なんぼやっても生活費が足りなかったらしい。
 (本人は、お父さんの薬代でいったんだ!とも言うが)

 逮捕後、女の家は立ち退きとなり、一人息子は施設で保護された。 
 女は友達のところに世話になっている(はず)。


 覚せい剤女の唯一の友人は、女の生活は東京の男だけの支援では足りないので、
 なんとかトンタンに支援してもらえないだろうかと思っているようだ。

 トンタンとしては、何年も前に別れたと聞かされたサラリーマンの男と、別れるどころか
7年も脈々と続いていたこともショックだが、何よりかなり以前から覚せい剤をやっていたことを本人が隠してきたことは絶対に許せない。そういう性格の女をいくら支援して、また一人で(まして子供を抱えて)生活するのは無理だと判断している。
(薬やってなかったら、別やったと思うとトンタンは言う)
フィリピンに帰えって家族と生活するのなら、息子の養育費として送金は必ずすると言っておられる。 私なんかは本当に立派な人だなと思う。

 ところが、色ボケのアホの東京の男は

 「覚せい剤女がこうなったのは、トンタンの暴力的な性格に振り回された結果で、今後一切の支援は結構です。連絡もしないでください」

 と、私に言うてきた。 と本当に驚いた。

 今も覚せい剤女の口車にまんまと洗脳されている。普通に考えたら毎月10万も15万もくれる男と月3万円がせいぜいの男がどっちが必要かちょっと考えたらわかると思うが、そういうことを言うと

 「佐伯さんはお金にコンプレックスがあるんですね」とかわかのわからんことをいうバカで、そうじゃなくって事実を見つめろ!と私は何回も言うたけど、わからんみたいで、あきれはてて、もうトンタンも私も東京の男は見限ってしまった。
 
 今はただ、辛抱強く女がフィリピンに無事に帰るのを待っている状態なのである。
 ところが、どうも女は入管に「息子がいるから日本にいる必要がある」と犯罪者の強制退去の特例を求めているようで、延々と先延ばしになっているのだった。

 そんな中、この前、覚せい剤女の友達が「息子に会わないか?」とトンタンに言ってきてくれ、玩具を買って見に行ったら「息子がさわぐからしかたなく」覚せい剤女もついてきたのだという。


 で、一切、互いに口もきかず、お菓子などをコンビニで買って帰ってきたのだそうだ。   ホンマにむかつた。とトンタンは私に言うた。

 「よっぽどパパは元気か?」と言ってやりたかったんですけどね。 とトンタンは笑った。

 ホンマに覚せい剤女の甘えた性格には驚いてしまう。無言電話とかしてくるらしい。

 そんなことができるのは、息子に何かしてもらうのは当たり前とでも言うのだろうか?

 「いらん!お菓子なんて」と言える強さも、
 「ありがとう」と常識的なことを言う強さも女にはない。

 間に入ったフィリピン人の友人に「まじめにやってるから応援してあげてよ」と言われて。本当にあきれたそうだ。それは本人から俺に言うてこないといかんやろうと。


 応援はして欲しい。東京とも別れない。フィリピンには帰りたくない。頭を下げる気もない。東京のアホは偉そうに言う。

 トンタンが何ぼ人がよくても何もできないというものである。
 また、薬物依存の治療などをきちんとやっているのかどうかもわからない。そういう具体的なことがわからずに今の女に支援するのは、また元の木阿弥である。


 その話を聞いて、私が
 辛かったのは、覚せい剤女があらゆる理由に「息子」を使っていることだ。
 施設に入ってしまっても、未だに道具じゃないか。

 息子がいるからフィリピンには帰りたくない。
 息子のお父さんだから生活の応援してほしい。
 息子がいるから働けない。
 
うそつけ!やと思う。

 お前は、フィリピンに帰らず、日本の制度を利用して、楽して生きていきたいだけだろ。
 働きたくないだけ。

言うとくけど、フィリピン人でもこんな奴はこいつ一人だけやから。

 みんな、本当によう働くよ。ホンマに。


 フィリピン人でも日本人でも働く喜びを知らない人とうのは情けない。
 

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